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プロフィール

氏名: 福島英彦
生年月日: 1967年8月29日生まれ
出身地: 東京都世田谷区
星座: おとめ座
血液型: A型
趣味: フィッシング ゴルフ 映画鑑賞
好きな食べ物: なんでも好き
体格: Height:177cm Chest:100cm Hip:86cm


活動内容

ウインドサーフィンのプロツアーに出場。
ウインドサーフィンを題材とした技術書、VTRのモデル出演。
CS放送やラジオでのゲスト出演。
スポーツイベントのゲスト出演。
ウインドサーフィンのスクールを始めとした後進の指導。インストラクター活動。
ウインドサーフィン無料体験スクールの企画・運営。
ウインドサーフィン専門誌でのトリップやコンテストレポートの執筆。

 
生い立ち

昭和42年8月29日、暑い年の夏に東京・世田谷にて産声をあげる。
小学生時代は野球、水泳に励む。なかでも野球は少年野球チーム「成城アタッカーズ」 に所属し、世田谷区内の大会に出場していた。
このチームのモットーは“練習せずに勝つ”一見、矛盾したモットーだが少数精鋭のチームは連勝を重ねた。
中学になりバスケットボールと陸上競技に明け暮れる毎日が続いた。
一年生の時にはリレーのアンカーを走り、二年生からは長距離に転向し、 区大会初出場初優勝を飾った。その後、出る大会全てに優勝。
三年生の時にFISCOマラソン(富士スピードウェイでの全国大会)で負けるまで 連勝街道をひた走った。
一方、バスケットボール部ではキャプテンとしてチームを引っ張った。
高校にはバスケットの名門・専修大学付属高校に入学した。
月に一度の休み以外は毎日練習という過酷な日々が続いた。
一年生の時には秋田・能代工業に敗れたものの全国大会でベスト8まで進んだ。
高校三年の夏、予選で敗退するまでバスケット一筋の道を歩んだ。
この高校三年間で得た教訓は“団体スポーツは俺に合っていない”だった。
高校三年のときには怪我で半年間近く入院し、大学への進学を諦めざるを得なかった。
その後、アパレル会社に就職し渋谷に勤務する。
20歳になった頃、姉がウインドサーフィンをやっていたこともあり、姉からウインドサーフィンに誘われる。
初ウインドサーフィンは富士五湖の西湖。初めて乗ったサーファー艇は数十分でマスターした。
初体験から数ヵ月後、職場の仲間にウインドサーフィンに誘われ、湘南・鎌倉材木座ビーチで海デビューを果たす。
その後、レストランに勤務をしながら休みの日は材木座でのウインドサーフィンに費やした。
24歳の頃からアマチュアのウェーブ大会にも出場。鎌倉のショップ“MINES”のライダーになる。
26歳の時、ハワイ・オアフ島ダイアモンドヘッドで行われたワールドカップ“SALEM WORLD CUP”にワイルドカードで出場、その年初めてロビーナッシュを下しワールドチャンプになったビョン・ダンカーベックと対戦。自分で言うのもなんだが、惜しくも僅差で敗れた。
27歳の時にはNEILPRYDE CHALLENGEにて優勝。ライダーの権利を得る。
翌年、EZZY CUP初代王者になりEZZYセイルのライダーとなった。
29歳、TERZO JAPAN CUPで日本人4位、総合で8位の成績となり、大会後、30歳の年でプロに転向した。
プロ転向後、アマチュアでは連勝を重ねた俺もプロの厚い壁に行く手を阻まれる。
スポーツ選手のマネージメント事務所“スポーツビズ”に所属し主要大会出場を続けながら、事務所を通じたメディアでの仕事も展開する。
2003年冬、HOT SAILS MAUIのディストリビューター兼プロ選手として新たな道を歩き始める。
2004年春、イタリアブランド・PATLOVE(アクセサリーブランド)、AMEX(マスト・ブーム・エクステンション) ブランドとディストリビューター契約を結んだ。
今後もプロ選手を続けながら、サーフ関連グッズのディストリビューター、後進の指導など、今までとは違った分野での活動に幅を拡げていく。

 
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